teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]


新着順:9/335 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

朝鮮南部連続少女誘拐事件

 投稿者:玉川  投稿日:2013年 8月10日(土)14時48分13秒
  通報 編集済
 

従軍慰安婦神話」のモデルと見られる事件が戦前の朝鮮半島で起きていた。
京城(ソウル)在住の朝鮮人夫婦によって、150名もの少女が誘拐されて満州や中華民国へ売り飛ばされた。
人身売買が多額の利益になることをこの夫婦が知っていたことから、この事件は誘拐事件全体のごく一部と考えられる。

20万人の慰安婦の強制連行なるものが事実ならば、開戦の2年前におきた夫婦の犯罪を日本軍が模倣したものと考えられる。
歴史的に重要な割には一般に知られていない事件である。

開戦のわずか2年前まで誘拐犯を取り締まっていた日本政府が、開戦後、自ら誘拐に手を染めるようになった経緯に関する記録は残っていない。

「日本政府が不都合な書類をすべて焼却した。」が韓国お決まりのセリフである。

WikiPedia より

朝鮮南部連続少女誘拐事件とは、1932年(昭和7年)から1939年(昭和14年)にかけて、日本統治時代の朝鮮の南部地域(慶尚道・全羅道地域)で続発した連続少女誘拐事件である。

【犯人】
犯人は京畿道京城府本町(現大韓民国ソウル特別市中区忠武路)在住の朝鮮人夫妻で、夫は大田刑務所の元看守であった。1932年(昭和7年)に、夫は大田刑務所を退職したが、転職の当てがなかったため、とたんに生活が苦しくなった。そして「金儲けは娘誘拐に限る」と称し、妻と共謀して連続少女誘拐と人身売買を手がけるようになった。

【犯行の手口】
最初の事件は、以下のような手口で行われたという。

慶尚北道大邱府南山町(現大邱広域市中区南山洞)の民家に犯人夫妻が訪れ、「俺は京城でも相当な資産家だ。子守娘を雇うのだが、君の娘はどうだろうか。京城の娘はどうも生意気で・・・」と言葉巧みに親を説得し、前金として10円を支払い、その家の娘(当時18歳)を引き取った。その後、娘を京城ではなく中華民国の天津に連れて行き、1000円で売り飛ばしたという。

その後の7年間、同様の手口で朝鮮半島南部の少女約150人を拐かし、当時は日本人と朝鮮人などの植民地の人間はパスポートなしで渡航できた満州国や中華民国の人身売買市場に連れて行き、約60000円を荒稼ぎしたという。

【事件の発覚】
1939年3月4日、全羅南道光州府(現光州広域市)から連れて来られた少女(当時18歳)は、身の危険を感じて犯人宅から逃亡した。犯人は「自分の姪がいなくなった」と東大門警察署に捜索願を届け出たが、不審に思った署員から問い詰められ、7年間に渉る誘拐・人身売買を自白し、逮捕された。

【事件が与えた影響】
加害者及び被害者が全員朝鮮人だったことから、朝鮮語メディアである東亜日報や朝鮮日報が特集を組むなど、大きく取り上げられた。”

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%8D%97%E9%83%A8%E9%80%A3%E7%B6%9A%E5%B0%91%E5%A5%B3%E8%AA%98%E6%8B%90%E4%BA%8B%E4%BB%B6


女性を拉致して売春をさせる類似した事件は、韓国が出兵したベトナム戦争時にも起きている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%8F%E3%83%B3

戦前の朝鮮南部連続少女誘拐事件から20年の時を経た1960年代、ベトナムで再び韓国人による少女誘拐と強制売春が繰り返された。
なぜなのか?
両者をつなぐものは何なのか?

http://

 
 
》記事一覧表示

新着順:9/335 《前のページ | 次のページ》
/335