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没収されたヤドカリ
ベトナムのリゾート地ダナンへ行った。
波打ち際で小さなヤドカリを拾って、ペットボトルに入れた。
子供は大喜びで、何度もボトルの底をのぞきこんでいた。
ところが、ホーチミンへの帰り道のダナン空港での手荷物検査で取り上げられてしまった。
行きのホーチミン空港では水の入ったペットボトルも、X線装置に通すだけでOKだったのにもかかわらず。
特別な装置がない時代、日本の空港では臭いを嗅ぐなどして安全性を確認していた。
それにしても、生きたヤドリカリが歩き回っている水のどこが危険なのか?
有無を言わさず一律に没収しなくてもゴマ油を一滴垂らすだけで安全性は証明できる。
あるいは、ヤドカリを残して水を捨てさせるという選択枝もあったはずだ。
天皇を神として崇拝する人間と、生きたヤドリカリが入っている液体を可燃物と考える人間の知能には大差がない。
独裁国家を支えるのは、いつの時代も科学的な思考力に欠ける人間集団である。
独裁国家とは、独裁者と政権を支持する愚民という時代遅れの霊長類たちが住むサファリパークのようなものである。
生き物がクズかごに捨てられたことでショックを受けた子供に「どうして」と聞かれた。
「世の中には頭の悪い人たちが大勢いる」としか答えようがなかった。
愚かな役人たちとその背景にある独裁体制を支持する人たちをバカだと思う両親からは、同じように彼らをバカだと思う子供が生まれる。
我が子が大人になって独裁国家へ旅行したとき、民主主義が遺伝することを自ら実感することであろう。
少子化対策とはいえ、外国人を移民として安易に受け入れることは、日本の将来の民主主義を危うくする可能性がある。
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